粟島物語のはじまりは土づくりから

最盛期の粟島は、3000人を超す人口を抱えていました。今では200人、1/10以下です。昭和初期から中期の粟島の風景は「白砂青松」「耕して天まで届く段々畑」

「子供たちが自由に駆け回れる、恵み豊かな里海・里山」に包まれていたそうです。

あこがれの島暮らしを夢見て私たち「サイレント粟島ドットコム」の仲間たちは、

粟島に移住してきました。

島外でのアルバイトで生計を立てながら、私たちが最初に取り組んだのは、

島の遊休地の再活用でした。「有機農法で美味しく安全な野菜を作りたい!」

汗にまみれて土を耕しました・

しかし、地味も解らず 気候も知らず、私たちの無謀な試みは失敗続きでした。

そんな中で、4年を粟島で暮らしてきた今、やっと気づいたことがありました。

粟島の土は3000人の島民を食わしてきた力があったのだ!!

粟島の土の力を引き出すには、私たちはあまりに無知すぎたのだ!!

4年かかってやっと気づいたのです。粟島の風に吹かれて、雨にあたって、

島民と過ごしてきて・・・

私たちは再スタートすることに決めました。

そうするといろんな事が見えてきました。

よい土地の、よい畑がある。よい土地でよく育つ野菜がある。

水に恵まれた畑もある。

遊休地だから、耕作放棄地だから農薬が抜け、替え難い安全な野菜が栽培できる。

SILENT Farm の仲間たちはもう一度耕し始めました。

種を採りついで生命が持続しながら変化し発展していく日本固定種野菜を育てることをめざして。粟島の土だからこそ元気に育つ野菜を見つけるために。

 

 

 

 

SILENT Farm が目指すのは、粟島の土が大好きな「日本固定種野菜」を見つけること。その種を増やすこと。育て収穫した野菜をSILENT Café と、SILENT Houseでたくさんのお客さまに味わって頂くこと。そして何より SILENT kid's の仲間たちと一緒に、子供たちに昔からの日本の野菜が安全でおいしいことを知ってもらうことです。

 

 

昔の粟島には果樹園がたくさんありました。みかん・ぶどう・びわ・いちじく

柿 etc  今では放棄された畑の果樹の実は、島のカラスのごちそうです。

もったいないと思いませんか?

私たちと一緒に、何かやりませんか?

 

粟島には、まだまだ隠れた宝がたくさんあります。私たちは一緒に粟島の宝を探す仲間を募っています。

興味を持たれた方は、お問い合わせフォーム、またはサイレント粟島ドットコムfacebookページよりご連絡くださいませ。